宿毛市
荒木 初子
あらき はつこ
フィラリア撲滅に貢献

大正6(1917)年に宿毛市沖の島町弘瀬で生まれ、昭和初めころ、医療を志して高知市の学校に通い、母親の死を契機に、看護婦(現在の看護師)の資格を取り、大阪の病院で勤め始めました。しかし、27歳の時に結核にかかり、療養のため帰郷します。
結核を克服し、島民の願いもあって、保健婦(現在の保健師)の資格を取り昭和24(1949)年、沖の島に当時の駐在保健婦として赴任し、沖の島と鵜来島で島民への健康指導と、衛生意識の向上に尽力し、乳児の死亡率を改善させ、フィラリアを撲滅させました。また、助産婦(現在の助産師)としても勤め、島のすべての出産にたずさわりました。
初子の献身ぶりと、フィラリア撲滅の実績により、島民の信頼は絶対的なものとなり、島の人びとから“はー姉さん”“お母さん”等と慕われました。
昭和42(1967)年には日本の文化活動に著しく貢献した個人や団体をたたえる「吉川英治文化賞」の初代受賞者となり、翌年制作された映画「孤島の太陽」のモデルにもなりました。
20年以上沖の島での活動を続けましたが、映画の試写会に招かれ上京した際に、脳出血で倒れ、昭和47(1972)年、定年を前に退職し宿毛市内に移りました。島を離れてからもなお、島の人びとを気遣い、健康を守る活動を続け、平成10(1998)年に81歳で亡くなりました。
宿毛歴史館 上岡 葵