偉人紹介great man

宿毛市

竹内 明太郎

たけうち めいたろう

日本近代工業の礎となる

戦後復興の父・昭和の宰相、吉田茂の実兄が竹内明太郎です。
16歳年長の明太郎は幕末維新期に躍動した竹内綱の長男として安政7年(1860)に宿毛で生まれ、若くして父の事業を引き継いで「竹内鉱業」を興します。その中で、鉱山での工作機械を開発したのが「小松鉄工所」、現在の「コマツ」です。「鉱山はやがて掘り尽くす。地元に継続的な産業を」と、現在の石川県小松市に先進的な発想で起業、世界的な企業に飛躍する礎を築きました。また、日本の工業発展に並々ならぬ意欲を持ち、国産初となる自動車開発に出資、完成した「DAT号」のTは竹内のイニシャルからとったもので、現在の「日産自動車」の原点ともいえる事業です。

工学教育にも熱心で、同郷の小野梓が「建学の母」といわれる現在の早稲田大学で理工学部新設に気運が高まると、明太郎は育成してきた研究者たちを教師として送り込みます。また、高知県には父、綱とともに高知工業高校(現:高知県立高知工業高校)を開設して子弟の教育にあたります。
最近、茨城県龍ケ崎市に残る「竹内農場赤レンガ西洋館」が話題になっていますが、80町歩余りの大型農園は、農業の近代的な機械化を模索した明太郎による経営で、建物は彼の別荘として建てられたものです。

「どの会社にもない製品をつくる」をモットーに、「工業は富国の基」の理念を父とともに実現に向けて歩んだ明太郎。晩年は世界的な不況に巻き込まれて経営から手を引きますが、その発想、実績は現代の日本工業界にも多大な影響を与えています。

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