宿毛市
小野 梓
おの あずさ
日本の将来を見つめた先覚
「早稲田大学建学の母」小野梓は、横浜にペリーが来航する前年、嘉永5年(1852)宿毛に生まれました。
幕末の動乱期に成長した梓。宿毛は土佐藩西域の海防を担ったこともあって時勢に敏感で、新しい時代に次々と躍進します。梓も明治維新後は欧米に留学して法律を学び、帰国して大隈重信と出会うと会計監査院の設立に尽力、政争により下野してからは、ともに立憲改進党を結党しました。
そしてもうひとつの共同事業こそが、梓の理念を基にした日本独自の専門学術教育機関、東京専門学校(現:早稲田大学)の創設です。実務に専念した梓は明治15年(1882)の開校式で、「一国の独立」は「国民精神の独立」に根ざし、それには政治権力に左右されない「学問の独立」が必要と力説、この宣言は全国へと広がっていきました。
また、良書普及に「東洋館書店」を開業し、みずから『民法の骨』『国憲汎論』を著して、これらを教科書として教壇に立ちました。書店の名は、梓の雅号「東洋」にちなんで、東洋の発展を目指したものです。
「早稲田大学建学の父、大隈重信」と並び、実質的な創設者として「母」と慕われる梓ですが、大学構内「小野梓記念館」における顕彰のほか、毎年成績優秀な学生には「小野梓記念賞」が贈られています。さらに近年、梓の誕生日にあわせた「梓立祭」をはじめ、宿毛市内での大学との交流は年々盛んになっていて、梓の実家跡に「小野梓記念公園」が整備され、公園近くの「宿毛まちのえき林邸」リノベーションも大学が手掛けています。また定期的に、大学への留学生がしないで研修する姿もみられます。「学問の独立」体現のために心血を注いだ梓。33年10ヶ月の生涯で輝かせた灯火は、今もなお日本全国の学び舎を照らし続けています。