偉人紹介great man

四万十市

樋口 真吉

ひぐち しんきち

幡多の勤王志士

幕末・維新の動乱期だけでなく、その胎動期も見た
幡多中村に道場を開き、剣術・砲術の1000人近い門弟を育てる

文化12(1815)年11月8日、幡多中村に生まれた樋口真吉は、若い頃から剣術に優れ、砲術を学び、高い学識を持つ人物でした。幕末動乱の中、京都で中岡慎太郎や西郷隆盛と会談を重ね、幕末史の局面を目撃し、それを日記に記録しています。真吉の剣術の腕前は全国的に知られており、江戸でも道場から他流試合を断られる超一流の剣士になっていた。大坂で脱藩後四ヶ月の龍馬に出会い一円(一両)をわたす。その後龍馬は江戸に向かい間崎哲馬(実家が中村)に会う。ジョン万次郎と会い、異国の状況を聞きその後の行動に影響を受ける。横浜のスイス貿易商人と交渉し、土佐藩の連発騎兵銃の調達・購入を行う。土佐藩軍を率先する二小隊の精鋭騎兵銃隊を養成する。真吉は戊辰戦争の際、土佐藩兵士輸送の為に英国蒸気船「ミアカ」を土佐の浦戸まで往復6400ドルでチャーター契約を結ぶ。数百人の兵士を陸上ではなく船で移動させる。

大政奉還、戊辰戦争と、幡多には幕末維新期に活躍した人物が数多くいました。樋口真吉、安岡良亮(近藤勇処刑)、藤本淳七(大政奉還建白書を執筆)、間崎哲馬(土佐勤王党幹部)彼ら一人一人が新しい時代を切り開いた立役者であり、功労者である。


「樋口真吉に頼んで新しい隠れ家を探してほしい」龍馬が託した手紙

「樋口真吉に頼んで新しい隠れ家を探してほしい」龍馬が託した手紙
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