偉人紹介great man

土佐清水市

池 道之助

いけ みちのすけ

ジョン万次郎の盟友

文政四年(1821)、池道之助は現在の土佐清水市中浜で産声をあげた。
激動の幕末に七つの海を股にかけた中浜万次郎とは幼なじみであり、6歳年上の先輩にあたる。道之助の実家は、現在の四万十町志和に本拠を置く地主と米屋を兼ねた豪商志和屋の分家筋に当たり、志和から中浜などの足摺半島に米穀を廻船輸送して利益を得る富裕な家庭に育った。幼い頃から文武を修め、これを基に地元で私塾を開き、門弟を育成した。このような背景から、嘉永七年(1854)に藩民兵に抜擢され、足軽類で召し抱えられた。文久三年(1863)に苗字帯刀が許され、一代限りの郷士となった。

慶応二年(1866)正月、中浜万次郎の従者となり、高知城下・長崎・香港等に随行し、土佐商会で活躍した。
明治4年(1871)、50歳にて役職御免を申出て退職した。翌年4月、越・加久見・横道の三か村の村長に就任したが、その年の7月その生涯に幕が下ろされた(行年52歳)。

道之助の功績として次の(1)(2)が挙げられている。
(1)安政地震が発生した年号日時・津波の状況・家屋の流失・多数の死者が発生した事実などを中浜峠に自らが建立した池家墓碑に刻印したこと。
(2)安政地震の被災状況を身近な地域~土佐湾広域にわたり、『今昔大変記』にその聞き取った状況を詳しく著す。
これにより震災への注意喚起とその啓発に努め、命を守る心構えを諭した。その先見性は、現在の防災教育と比較しても決して見劣りしない。

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