偉人紹介great man

四万十市

島村 小彎

しまむら しょうわん

幕末~明治の日本画家
鍾馗の絵馬

下田が生んだ芸術家の血脈。河田小龍に学んだ土佐の狩野派絵師。
島村小彎は文政12(1829)年7月2日、幡多郡下田村(現四万十市)に、豪商弥右衛門、いのの長男として生まれた。幼名は右馬之助、名は景徳。
幼い頃から絵画を好み、永6(1853)年5月、13歳で家督を実弟重助に継がせて画業に専念し、高知の河田小龍に師事して絵を学んだ。

小龍一門の早くからの高弟で、雅号を小彎と称した。小彎は師のもとで次第に頭角をあらわし、牛馬、花鳥を得意として絵画、絵馬などを製作した。代表作に下田村の商家から依頼されて描いた「鍾馗図」(貴船神社蔵)などが挙げられる。また、四万十市郷土博物館に所蔵される下田風景図は当時の四万十川河口域の往来を物語る資料として貴重なものである。画人として小彎は河田小龍、名草逸峰ととくに親交が深かった。

明治12年ごろ3人が同時に流行病にかかって回復したとき、蘇の字を使ってそれぞれ蘇梅、蘇龍、蘇峰と号した。小彎は愛樹にちなんで梅の字を用いている。このことから3者は土佐の三蘇と呼ばれ、以来、小彎は蘇梅の号を多く使った。維新の混乱の中、修行にも生活にも苦労をし、明治4(1871)、5年ごろからは高知県庁の製図係として勤務し生計を立てていた。現在小彎の携わったものは香美郡地図、高知市の図などが現存している。

晩年、土佐国図の作製中に壊疽を病んで手術をしたが、余病を併発して明治14(1881)年11月19日、53歳で没した。墓は下田にある。師小龍はその死を聞いて自分の右腕を失うとまで嘆いたという。なお、現代日本画の重鎮中島啓朝氏は小彎の娘の孫にあたる。

下田の風景図
下田の風景図
ページの先頭へ