偉人紹介great man

四万十市

南仏上人

なんぶつしょうにん

鎌倉時代の高僧
南仏上人

南仏上人は幡多郡坂本本村(現在の四万十市坂本)出身の僧侶で、幼少から仏門に入り、弘安年間(1278年~1288年)には金剛福寺(土佐清水市)の住職として活躍した。在職中に寺院の発展に大きく貢献し、金剛福寺「中興の祖」とも呼ばれている。晩年は故郷へ帰って香山寺の住職となった。
南仏の偉業では、とくに京都御所で樹勢回復を行った逸話が知られる。宮中の左近の桜、右近の橘が枯れようとしていた折、天皇の命により、金剛福寺の住職であった南仏上人と延光寺(宿毛市)の住職・明俊僧正は共に京都に招かれ、樹勢回復のために祈願をした。連日の祈願の結南仏上人坐像果、枯死しようとしていた二樹がよみがえり若菓を出したと伝わる。天皇は褒芙として明俊には笑不動を、南仏には赤白不動の画を贈ったという。

 

南仏が金剛福寺住職を引退し晩年を過ごした香山寺は、四万十川と 中筋川が合流する香山寺山の山頂にあり、弘法大師開山と伝わる。かつては塔や講堂、門などの揃う大寺であったと記録され、人々に深く信仰されてきた。
この香山寺の東麓にある坂本遺跡で発掘調査が実施され、寺院とみられる建物跡、瓦窯跡、貿易陶磁器や舟形木製品などが発見された。これによって山寺と思われてきた香山寺が、山麓を含めた広大な寺院であり、物資の流通や水運をつかさどる重要な役割を持っていたことが明らかとなった。
南仏没後に上人を偲んで作られた南仏上人坐像(高知県指定有形文化財)は、香山寺の南仏堂に納められていたが、現在は四万十市郷上博物館で保管されている。

香山寺(現在)
香山寺(現在)
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