宿毛市
林 有造
はやし ゆうぞう
自由党の領袖
天保13(1842)年、岩村英俊の二男として宿毛で生まれ、林茂次平の養子となった林有造は、明治維新後、初代高知県知事を務めました。
やがて、自由平等の日本を目指し、国民の意思で日本を変えようと、板垣退助らと立志社を設立し、自由民権運動を始めました。
明治10(1877)年、西南戦争に呼応しようと土佐挙兵計画を立て、逮捕され、首謀者として翌年禁獄10年の判決を受けました。
出獄後の明治22年(1889年)に林邸を建設し、高知県幡多地域の自由民権運動の拠点として政治家や支援者の集いの場となりました。
林邸は、初めから政治活動を前提に建設された全国的に珍しい自宅兼選挙事務所であり、林有造とその二男の林譲治、譲治の長男の林逍と、三代にわたり国務大臣を輩出しました。宿毛市を代表する歴史的建造物であり、現在、交流拠点施設である宿毛まちのえきとなっています。
翌年の明治23(1890)年、日本初の衆議院選挙に当選し、自由党の領袖として強い発言権をもち、連続当選するなかで農商務大臣などを歴任し、20年近く日本の政治を牽引しました。
明治41年(1908年)、66オで政界を引退した後は、宿毛にもどり、「わたしは、宿毛の人たちのために政界を引退して帰ってきた」との宣言とおり、真円真珠の養殖や新田開発、片島港開発などの地域振興事業を進め、大正10(1921)年に79オで息を引き取るまで、宿毛のために尽力し、郷里の発展に寄与しました。
(宿毛市立宿毛歴史館 上岡 葵)